長崎って街は、エモいって話
往々にして「長崎」という街にわたしが訪れる時は、天気が悪い。
天気が悪いとなんだか大浦天主堂が威圧的にこちらを見ているかのようで、こわい。
『♬あーあー 長崎はー 今日もーあめーだったー』
という有名な曲があるほどに、長崎という街は天気が悪いことが多い。
その代わり、夏の青空はどの街よりも突き抜けて青くって、わたしは長崎の空を見上げて初めて「空の青さが突き抜けている!」という表現の本物を目撃した。大学一年生の時だった。それ以来、長崎の虜である。
曇っている、小雨がぱらついている、太陽はどこか遠く彼方に消えている。
今回の滞在はいつものそんな「ナガサキ」だった。
でも、それでも楽しい街なのだ。
雨だろうが、なんだろうが、その良さは全く消えない。
九州でいっちばん好きで堪らない街。正直、博多より良いところだと思う。
なんてったって、まず路面電車が良い。
街に溶け込む路面電車がノスタルジックに美しい。
便利も良いし、高齢者がゆっくりと横断していると『あら老人様』とでも言いたげなほどにゆっくりと電車は中途半端な場所で停まる。それに文句をいう人など居る訳も無い。長崎。
これを見て思い出す。
最近の、清涼飲料のマッチのテレビコマーシャルでこんなものがある。
『青春ほどの、難問は無い。』
路面電車の儚さ、懐かしさ、そういうものがなければ表現できないコマーシャルだなあと何度見ても思う。
これを見ると、渋谷で女子高生してる、みたいな東京のひとにこの独特の切ない感覚、甘酸っぱい青春のゆるやかな時間の経ち方、みたいなのは(きっと伝わっているんだろうけど)どう伝わっているんだろうと不思議に思う。
都会人に、このコマーシャルの感覚が本当に伝わっているのかしら、と田舎出身者としては問いたくなるのだ。ねえ、伝わってるかい?このノスタルジックなエモさが?
坂が多い長崎は、建物が山にぴょこぴょこ生えたように建っている。(さながら香港のようだ!)
そんな民家と民家の間は小道になっていて、そこもまた坂道、階段、と凸凹している。
とても細い小路だらけだ。その隙間をぬうようにして野良猫は走り、高校生たちは放課後の帰り道にじゃれ合う。学生鞄で押し合い、笑いながら「なんすると!」と九州の方言が飛び交う。笑い声。細い坂道の隙間から夕日は漏れ、その眩しさに目が眩む。
水を玄関の前に撒くひとがいる。ここにもまた、野良猫がいる。坂道に風が吹き抜ける。港町だから、遠くでコクリコ坂さながらの汽笛がボーっと聞こえる。またどこかの国の船が来たのかな、そう言いながら高校生たちは坂をスピードを出して更に早く駆け下りる。
おいおいおい!
なんて美しいんだよ、この街は。こんな風景がほんとうに目の前にあるのだ。
そんな風景がいつだってある、長崎!あいらぶ長崎!ひゅーひゅー!
だから好きなんだ!!!
そしてまあポエムちっくに長々と書きましたが、その他に長崎の最大の魅力は、異文化がゴロッと混ざりこんだ、ってところだと思うわけです。
ようこそオランダ、また来て中国!
そんな感じで和洋折衷という言葉通りの建物が並んでいる、レンガ造りの建物がとっても綺麗。原爆投下の際に、洋風文化を残したレンガ造りの建物が多く残り、日本家屋は残ることが難しかったのだろうと察することが出来る。だから長崎の古い建物は、だいたい洋風なのかも。
戦前からある上海銀行の長崎支店なんてとっても綺麗だし、旧長崎英国領事館は鮮やかな赤レンガがしっかりと未だ残っていた。
道路だって石畳の場所が多くて、そこを走る車はまるでフランスのパリの石畳を走る車のようだった。だって走る音が同じ!ゴトゴトとした特徴的な、タイヤと地面のこすれる音。
んでもちろん、これです、これ。中華街。
横浜の中華街と比較したら「ああ、、、」となってしまうほどに小さな規模感ではあるけれど、濃ゆくてディープな中華街。長崎名物のちゃんぽん、皿うどんもしっかりと食べられる。
建物の二階に中国語で難しい看板が出ていたりして、きっと様々な中国人によるビジネスが行われているのね、とドキドキしてしまう。独特の文化がそこにある。卓袱料理なんかは、その代表だろう。
長崎は本当にどこかが懐かしくって、別に自分が生まれ育った訳でもないのにノスタルジックにエモくなる独特の感情が湧いてくる。
じゃれあいながら港街である長崎の海沿いを走り抜ける高校生たちに、ふわっと自分の青春を重ね、きっと勝手にチューニングして美化している。それが心地よいのかもしれない。淡い空気を吸い込む、勝手に懐かしむ。
わたしの青春は福岡にあって、百道浜と室見川いう場所だった(椎名林檎ファンならお分かりでしょうが)けれど、なんだか長崎にもいた気がする。とまで思わせる。
沢山のキリシタンの名残である、教会がいたるところにある。
オランダとの貿易に使っていた、出島が残っている(再現されている)。
美しいグラバー園を除けば、蒸気機関車を長崎に持ってきた外国人の息。
そして坂本龍馬の音がする。
三菱重工の歴史を感じながら、港街を見下ろす。
坂道を走りぬけながら、原爆の爪痕を垣間見る。
空は相変わらず曇天、だけれど眼鏡橋は綺麗に水面に映える。
(わたしです)
そんな長崎へ行く度、長崎を考える度、わたしは胸がきゅんっとして、懐かしい気持ちでいっぱいになる。ここには歴史や文化が溢れていて、わたしの知らない青春や思い出、人々の日々が丁寧に積み重ねられている。
誰しもを受け入れるゆるやかな寛大さがあり、様々な歴史の爪あとはわたしたちに忘れないでと問いかける。
長崎名物のひとつである美味しい角煮まんを食べながら、わたしは石畳の上を歩き、汽笛の音を遠くから耳で拾う。原爆記念公園への道のりを地図で確かめる。
多分わたしは、こんな街で生まれ育ちたかったのね。
つまり結論はそう、おすすめの街です、皆も行くべきなのです。
わたしも近々、またうっとりしに行きますとも。ええ。
あと最後にね、おまけ。
長崎の外国人商人の家の庭で見つけた。