細胞が生まれ変わった、気のせい
人生で初体験をしました。入院、です。しかも手術、です。
一泊だけの検査入院なんてものなら人生で無いことはなかったけれど、こんなにも長期間入院するとは思いませんでした。全身麻酔をかけられることも、お腹にしっかりと縦に傷跡が残ることも初めて。これでもうら若き乙女なのでそれなりに傷跡残ることはすごくショックでした、これ。
東京へ2週連続で向かっていた7月初旬。
飛行機で人生で感じたこと無い程の痛みを感じ、空港で死にそうになりながら、だけれどもこんなことでへこたれては!と謎の使命感に燃えて電車にのったところ、東日本橋駅という駅で倒れて見事に駅員さんに救急車を呼ばれました。救急車のベッド、固かった。あんなベッドでは眠れないね、もしも普通に睡眠取ろうと思ったら。
色々割愛しますが(病院3つも行ったし、検査も死ぬ程受けたし)、要するに『腸閉塞』という病気で、腸がくるりんとまわっちゃって、絡まったところが絞まって壊死しちゃうよ!という恐ろしい病気になりました。2週間程何も出来ない期間があって、その間に沢山の方々にお見舞いにきてもらいました。
スローセックスで有名なアダム徳永の本を差し入れする奴から、週刊女性を持ってきてくれる子、ペヤングを差し入れする野郎までいました。そうだ、どこで買ったのか大人のおもちゃであるバイブを持ってきた女子大生もいたなあ。目の前で飲み物飲んで、帰りにビール飲む奴まで。わたし1週間ほど水も一切飲めないで点滴で生きてきたのに、この仕打ち。皆、覚えてろよ。大好きです。
ぱっと数えても東京で40人以上お見舞いにきてもらいました、本当にみんな有り難う。
写真は手術後初めて食べたちゃんとした固形物。記念写真。
手術から1週間近くたっても、流動食からしかスタートさせてもらえず。ひもじい思いをしました。全部液体じゃん、どこがごはんなのよ、ってなことを思いながら独りでめそめそと涙を流しながら食べていました。
わたしにとってはアウェイである、地元ではない東京で入院することとなり、親にも迷惑かけました。でも東京の多くの友人が居たからなんとか、頑張れたような気もします。もしこれ、北海道かどっか本当にゆかりのないところだったら確実に孤独死してました。よかった。
健康って、大事ですね。痛感しました。
入院中、なにもできやしないんです。本当に。おそろしいです。
ほぼ確実に再発するだろうね、という医師の言葉もしっかりと受け止めました。みんなに迷惑かけながら、頑張って歩くリハビリをしたり、意外と忙しく大変な日々を過ごしました。お風呂の時間にお風呂に入るのも一苦労、髪の毛もひとりで乾かせない、といった感じ。
ひとによって生かされていることをよく理解させられる日々で、いつも生きているときってのは入院時ほどまでにはカタチに見えなくても、やっぱり様々な人によって生かされてるのだなあとよく分かりました。
特に外国人である母を、ひとりで新幹線で東京まで来させてしまったことには胸を痛めました。なにも、右も左も分からない、日本語も完璧にすべてを理解できるわけでない母が、どんな心細い気持ちで、しかも倒れて入院しているという娘にまで会いにきたか。否、来させてしまったか。
それを思うと、つん、と胸が苦しくなります。
倒れるならせめて、地元で倒れたらね、まだよかったけど。仕方ない。
東京の友人たちのサポートで、歯ブラシから着替えまでこまめに代えてもらえて、なんとお礼を言えば良いのだろうと思いました。少しずつでも恩返ししていかねばならないことを、沢山してもらいました。嬉しいことであり、恩返しさせてもらえれば幸せです。
無事に退院し、抜糸もしました。
福岡にも既に戻りました。
大学にも少しだけ顔を出しましたが、傷跡がまだ痛く、重いものを持ったりくしゃみを出そうとすると信じられない痛みが身体を貫きます。これは大変だ。
でも今回の入院を通して、まるで細胞が生まれ変わったかのような気持ちになっています。新しい身体になったような。少し遠くに感じていた自分自身の身体といったものが、もう少しだけこっちに近づいてきて、自分自身の身体であること、愛でる必要があることを分かったような不思議な感じ。
思った以上に日常に自分自身が疲れていたことを痛感させられ、医者にも言われました。休ませてあげないとなあ、身体。ということで9月には今住んでいるこの上ない都会である一人暮らしのマンションから、ちょっと遠ざかって静かな街に移り住んでみようと思っています。家賃も、安くなるし。
色々踏み出したり、変わるときかなあなんて思うので。挑戦してみます。一人暮らしし始めてから、初めてのお引っ越し。だって細胞も生まれ変わったようだし、わたしはもっとわたしを大事にしてあげたいなと思えたので。
健康第一。皆様ご迷惑おかけしました、ありがとう。