作家・ライター
シンガポール出身,元気なシングルマザー
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いじめ加害者のことなんか知らないし感謝もしてない、私は幸せになるよ

 

昨日、Twitterでこんなツイートをしたら、多くの人にリツートされ、そしてコメントをもらいました。

  

 

ここに書いたツイートは事実です。

私が中学時代に経験したいじめ、そして今現在の加害者の書き込みをふと見た、という話。ただ、それだけです。

 

それ以上でもそれ以下でもないのだけれども、このツイートをしただけで、リプライ(返信)やDM(個人メッセージ)でいろいろな意見が送られて来ました。

 

たとえば。

 

「私もいじめられてたのですが、今も加害者は何も思わずに生きているんだろうと思うと、いろいろ思うことがあります」

「加害者には本当に自分より早く死んで欲しいといつも思ってます」

いじめをした方は簡単に忘れるけど、された方は忘れませんよね

といった、同じような経験をした人のツイート。

つらい気持ちを突然長文でDMしてくれた人も多々いました、同じ経験をしたみんなは、今でもどこかにいつも吐き出したいんだと感じました。気持ちは、わかります。

 

驚くのは、こういったただのツイートに見知らぬ人たちから、しかも突然タメ口の上から目線でこんな意見が送りつけられて来ました。

 

いじめは加害者もつらいものだ

「加害者は反省しているに違いない」

 

これにはさすがにちょっぴり、反論しておきました。

 

特にいじめは加害者もつらい、という心理は全く意味がわかりません。加害者の人の家庭環境などに問題があった可能性などを考慮してあげているのかもしれませんが、いじめはどうやったとしても、いじめです。

 

一番びっくりしたのは、こんな意見を言ってきた方。

「そんな性格だからいじめられるんだよ」

 

繰り返します。何があろうと、いじめはいじめです。

他人に嫌なことをしたほうが悪いんです。たとえいじめられる側が嫌な性格だとしても、外見が特徴的だったとしても、何かみんなに迷惑をかけてしまったことがあったとしても。

それでも、いじめたという事実には何も変わりはありません。

 

あと、プロフィールに教職課程を取る予定と書いている大学生から、こんなリプライもいきなり送りつけられました。

「食料を恵んでくれるなんていい奴じゃないですか(笑)」

 

いつかこういう人が先生になり、学校が世界の全てかもしれないと不安になっている生徒たちに「先生」と頼られる存在になるのかと思うと、世も末だなと感じざるをえません。

腐ったパンを上履きにねじ込まれた人に対して、「食料を恵んでもらえたじゃん」なんてどういう神経したら、しかもいきなり赤の他人にリプライで送りつけられるのだろう。これ、いじめ現場にいたら加害者に加担している発言ですよ。

他にもいろいろな発言を受け取りました、ひどすぎて紹介さえできないものも多いです。

 

「あなたのことを好きだったんじゃないの?」なんていう、ニヤニヤしたツイートもびっくりしましたね。百歩譲ってそうだったとして、好きな人の上履きにカビが生えた真っ青なパンを突っ込みますかね。経緯を詳細に書いたツイートではありませんが、さすがにもうちょっと想像力を働かせてください、このセリフを受け取った私はしんどいです。

 

インターネットって、自分のいつも周囲にいる優しい人間だけでなく、いろいろな人がこの世界にはいるんだよということを痛感させてくれます。残酷です。

 

 

私を過去にいじめてきた相手に対して、私は様々な思いを持っています。14歳の私は、小さな田舎の中学校が世界の全てだと思っていました。逃げ出す手段なんか、知りません。

 

相手を恨んでいないかと聞かれれば、素直に「恨んでないよ」とは、まだ言えません。10年以上も前のことなのに、私の人生に大きく影を落としましたし、そのときに言われた心もとない言葉は今も呪いのように私を縛り付けることがあります。呪詛は、そう簡単には抜けないのです。

 

相手(首謀者だった)は、どうやら今は関西で家庭を持って元気にやっているようです。赤ちゃんも生まれたことがわかりました。自分のその可愛い子供が学校で同じことをされたとしたら、きっと怒るでしょう、憤るでしょう。

でも自分が過去に似たようなことをした、ということは忘れている気がします。人はいつだって、都合のいい生き物です。

 

いじめの加害者なんて、大抵はいじめたこと自体を忘れています。

私をいじめていた相手なんて、裕福で友人も多く幸せそうにしていたし、「暇だから」といって笑顔で私のカバンに画鋲を山盛りぶっこんでいたような人でした。学校のテストでもいつもトップレベル、ルックスだっていいほうだったと思います。きっと、私のこと自体あんまり覚えていないでしょう。

 

被害者はいつまでもそこに囚われていたりするのに、なんて不公平なんだろう、と常々本当に思います。

 

 

でも。

昔よりは今、昨日よりは今日、少しずつそのいじめられた体験は飲み込めるようになってきました。決して忘れたわけではありません。でも、受け止められるようになって、そういうこともあった、と淡々と思えるようになっていく感じです。

 

関西で家庭を持つあなたが、今も元気そうに過ごしていることに、実はちょっとホッとしてもいます。よかったじゃん、と思っている部分もあります。ただし、そうやって家族を持ったおかげで、人の痛みにもう少し気がつけるようになっててくれよ、と願っています。

ちなみに、これまたTwitterでまったく見知らぬ人から「相手は今、昔のことを反省しているかもよ」、「思い切って本人に聞いてみなよ、反省してるかもなんだし」と言ってきた人もいますが、さすがに反省してるかどうかは知ったこっちゃないです。そうだったとして、私の溜飲は1ミリも下がりませんし、だから何?です。

 

だって私は私で、もうあなたと交わることのない自分の道を歩いているのだから。

 

今回は検索しましたけど、それだけで充分でした。

それ以上は知りたくもないですし、知る必要もないです。

 

決して同窓会にはいかないし、もう一度会う気などさらさらないけれど。ま、あなたも私もお互い勝手に生きていきましょう、それでいいじゃないですか。東京と関西で、距離だって離れています、簡単に会うことはないでしょう。

 

ただ、まあ、少し言わせてもらっていいならば、私はあなたよりも人の痛みを知ることのできる人生を歩いていますということです。あなたの軽率に行ったであろういじめが、私を強くしましたし、似た境遇の人に寄り添えるようにしてくれました。

それは私にとって、とても大きな誇りです。

 

また、あなたと同じ高校に進学することになったら絶対に嫌だ、という思いが私を勉強へと打ち込ませてくれました。絶対にこの環境から逃げ出すんだという決意になりました。

田舎の中学から行ける高校なんて、種類が限られています。中学の誰かとは同じ高校になるのが当たり前です。そうなったら、やっぱりこのいじめが続くかもしれない。

そこで新たな選択肢を増やすには、偏差値を圧倒的にあげることが当時の私には唯一の手段に感じられていました。

 

おかげで高速バスで通うことにはなりましたが、みんなとは離れた遠くの進学校に入れましたし、その進学校のおかげもあって大学も悩むことなく好きなところに行けました。

そして、大学時代に今の夫にも出会えましたし、東京に出てくることもでき、好きな仕事もしています。

人生の分岐点のひとつになったのかなとは思います。

 

だからといって、どんなに間違っても「今はいじめられたことに感謝してます」とは、1ミリたりとも思ってませんし、何があっても言いません。たまにこういうこと言わせようとしてくる人がいますけど、正直意味がわかりません。

感謝なんかしているわけないでしょう。集団で蹴られたことなんか明確に犯罪ですし、恨みこそあれど感謝なんかあるはずない。

 

ただ、今はそう思って、自分で折り合いを一生懸命つけてる。それだけです。

 

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相手も私も、あの田舎で、もがき苦しんだ仲間です。それ以上でも、それ以下でもなく、私たちはその事実を受け止めて、今別々に歩いています。それだけです。

もう、相手のことは知りません。いじめたことを忘れていたとしても、反省していたとしても、私は知りたくもないです。

 

私の気持ちの整理や方向は、私が決めます。

 

私はあんたより、幸せになるからさ。

あんたも頑張りなよ。じゃあね。

 

 


 

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