作家・ライター
シンガポール出身,元気なシングルマザー
鬱々とした陰気な感情を,
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ひとは突然親になるのではなくて 《出産レポ》

TwitterやInstagramなどのSNSでは、ちらほらと既に育児に追われる日々を垣間見せているわたしですが、ああそうだ出産したことをブログにはまだ記していないなと思い、我が子が寝静まった23時、ふとパソコンに向かって文章を打ち込んでいます。

出産の記憶が未だ風化せぬうちに、新鮮なうちに、記録としても記せるように。一気に思い出すままに、とりあえず書いてみます。

 

2020年11月30日、それは去年の終わり頃。

2424gの赤ちゃんを出産してきました。

 

 

↑ 一晩以上陣痛に耐えて、髪型も死に、化粧もしていない人間の顔なのでその辺はご愛嬌!!!!

 

 

ブログでも妊娠報告はしていたので、様々なメッセージやご連絡を多くの方々から頂戴しました、改めて皆さま有難うございました。母子ともに無事に、乗り越えました。やったよ!

 

コロナの影響や、へその緒に見つかった異常などのため、出産予定日よりも大幅に前倒しで入院していた途中で、いきなりの出血。そこからわたしの出産は始まりました。

破水ではなく、血、それも鮮やかに真っ赤な血。まだまだ出産予定は先なのに!

床に広がっていく多量の鮮血を見た瞬間、絶望的な気持ちを持ちながらも、早く産んでやればいいんだと必死な気持ちになったのを覚えています。

それは忘れもしない日曜の夕方の大出血。

そこから正確には21時間の格闘の末に、翌日月曜日の昼過ぎに出産しました。本当に、長かった。その瞬間瞬間はとても長くて、いつ終わるんだろうこの地獄と思っていましたが、後から振り返ると一瞬なようにも感じるのが出産マジック、ですよね。

 

本来の予定日より、3週間以上も早く世界に飛び出してきてしまった我が子は、それはそれは小さく必死な顔をしていました。3000グラムどころか、2500グラムにも満たないだなんて。赤くて小さくて、だから赤ちゃんっていうのね、あなた。小さいね。

長時間に及ぶ陣痛の必死な記憶は途切れ途切れで、看護師に「お腹切ってください!もうお腹切ってください!」と叫んでいたらしい明け方の記憶は実は本当に無くて、でもなぜだか生まれた瞬間の我が子の顔、声、それだけは鮮明に覚えています。

 

我が子。

わたしが2回目に力んだ瞬間にスルッとすぐに生まれた我が子!

 

それはもう可愛くて壊れそうで、いとおしくて、この世に出てきてくれたことが嬉しくてだけど心配で。産声は一応はあげたけれどあまりに小さいし、股から引っ張り出された直後の一瞬しかその姿を見ていないのに医師の手ですぐに何処かに持っていかれているし、ああもう出血も多かったし死んでしまうんじゃないのかと不安でしかたなくて、わたしの切れてしまった股を縫われながらもわたしのいる場所から遠くに持っていかれてしまった我が子の小さく漏れる産声を、集中して、神経を研ぎ澄まして聞いていました、だから同時並行で股を縫われた事実はほとんど覚えていません。

若干の産後ハイ、そして遅い来る不安。ぐるぐると猛烈に忙しい感情。

そして数分後、看護師が「赤ちゃん、呼吸もしっかりできているそうですよ」と持ってきてくれた我が子を見た時、ああもう良かった、30年間生きてきた中でつらかったことは沢山あったけれど、あの時死ななくて良かった、あの時自殺しなくて良かった、あの時生きることを選んで良かった、と走馬灯のように自分の人生が再生されました。

 

ああもうすべてチャラ、ぜーんぶチャラ、あの時のあの人間のこととか恨んでたけどとりあえずは許してあげる、わたしの大勝利、我が子に会えたから万々歳、我が子、無事に生まれてきてくれて有難う!

人間って本当にこんな感情になるんですね、すごい。いま客観的に振り返ってみても、そう思います。出産から落ち着いた今は、しっかりと過去の人を恨んだままだし、嫌なことは記憶にしっかり残ってるんですけども、なぜかこの時はね、許してたんですよね。出産マジック。

このときにわたしが裁判官とか総理とかやってなくて本当に良かった、たぶん悪人のことも無罪にしたり恩赦にしちゃってたわ、あっぶない。

 

とまあ自分の中でそんな大きな感情が渦を巻いて身体を貫き、嬉しさ爆発、ひと安心。胸の上に置かれた我が子が小さく目を開けて、わたしの顔を覗き込むように見ようとしていて、そうよわたしがママよと話しかけた直後、「では検査のために一旦赤ちゃん預かりますね」と我が子は連れ去られていきました。なんとまあ短い逢瀬、それではさようなら。

しかし、なんてたって24時間以上ほぼ痛みに耐え続けてきた直後なもんだから、わたしは麻酔をかけられたかのように安心してすぐに深い深い眠りに落ちました。安心して眠りに落ちるこの瞬間の眠気、最高に気持ちよかったです。

本当によくやりました、出産をする人はみんなすごいよ。わたしでも出来た、乗り切ったよ。

 

 

 

ちなみにその後、泥のような眠りから目が覚めると、医師からの呼び出しが待っていて。

ああもうこれ絶対ダメなやつじゃん、怖い、行きたくない、そう思いながら車椅子で医師の元へと運ばれると始まる説明、予感は的中、聞かされたのは我が子の呼吸がやっぱり本当は上手にはできていなかったようだということ、新生児集中治療室(NICU)への入院が既に始まっていること。数分しか見ていない我が子はもう今、呼吸器の中にいるということ。

 

絶望から最高潮の幸福、そしてまた悲しみのどん底。

もう感情が忙しい、大渋滞、勘弁してくれよ!

 

……とまあそんな感じで、ドタバタと出産と入院をこなしていました。いやあ、長かった。このあとわたしだけが先に退院して、入院している我が子の元へ毎日通い、家で頑張って絞った少ない母乳を一生懸命に病院まで持っていく日々が1ヶ月ほど続きました。コロナで面会時間は短いしで、これがまあ疲弊する日々だった訳ですが、その話はまたどこかでするとして。

 

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(わたしの両手と、退院直後の我が子の足。お顔もちょっぴり。ちいさくてかわいい)

 

 

これがザザザっと書いた、出産前後のわたしのおはなし。

ひとは産めば突然母になるだなんて神話は実際にはどこにもなくて、ただ出産というイベントをこなしたという感じで、でもその中で感情を猛烈に揺さぶられて、忙しく情緒不安定にはなったよ、というのが正直な感想です。

感動的な瞬間は確かにところどころに散りばめられていたけれど、それよりは股が痛かっただの、血が怖かっただの、とにかく赤ちゃんが心配だなと思ったり、病院のベッドが硬くて腰痛が悪化したことだとか、そういう現実的な泥臭い出来事の方が圧倒的に多かったです。

 

ひとは突然母になるわけでも、親になるわけでもなくて。

 

確かに子供が生まれた瞬間はよかったね、安心したね、という気持ちは先走っているけれど、先走っているだけ、そこから先は小さな宇宙人のような存在が突然家に来たのをこなす日々でした。これを書いている今は生後3ヶ月だけれど、ようやく今になって、親としての責任や自覚のようなものが出現してきたかなという感じで、ひとは親になるんじゃなくて、親になっていくんだなと痛感しています。

 

オムツ替えを何度したところで、ひとはすぐに親になれるわけじゃ無いんですよ、それは看護師も保育士もやってくれたりすることで、ただの幼い生命を維持してあげることでしかなくて。親がやるべきことってのは、なんだろうね、子のことを考え、いつも想い、子の将来のことを妄想して楽しくなったり、必要に応じて助け舟を出したり手を差し伸べたり、ときに正しさや処世術の道筋を作ってあげたり、その人生の行く末を見守るための覚悟を決めることだったりするのだろう、というのが個人的な現在の、いまのところの結論です。偉そうなことは何も言えないけれどさ。

 

子供と私は所詮、別の人間なので、でもその中でどう関わっていくのかを模索していくのかが目下の課題です。ああもう楽しみだな、今はまだ母乳を飲むくらいしか大きな娯楽がない我が子がこの先、何に興味を持って、何に没頭し、どんな才能でわたしの背中を簡単に追い越し、ときに大きな挫折をしていくのか、それをどう見守っていけるのか、支えていけるのか、旅立ちを寂しがることができるのか、そんな楽しみで溢れています。

たぶん、子育ての醍醐味って、ここにあるんでしょ、ね?先輩方。

 

まだ桜が満開でも無いこの冬の終わりに、そんなことを適当に書きつつ、気がつけば23時半。30分もこのブログを書いていました。

 

こういう文章を書くのは比較的速筆なほうだけど、ここまで3500文字ちょっと。

今日はちょっと長く書き過ぎたように思います、ではまた。

改めて声をかけてくださった方々、こっそりと心配してくださっていた方々、病院の医者や看護師の皆さんはもちろん、友人諸君、家族、皆さまに感謝と愛を伝えながら今日はこの辺で失礼します。

我が子と明日も元気に生き抜きます。出産、やってやったぞ!オラ!

 

 

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