作家・ライター
シンガポール出身,元気なシングルマザー
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父がチャーター機で、インドから帰国しました(追記あり)

何度かインターネット上でも書いてきた気がするのですが、わたしの父親は60歳を超えた今も、定年後の再雇用という形で仕事を続け、インドにずっとひとりで単身赴任、駐在を続けています。

 

そんな父も例に漏れず、コロナウイルスの影響で日本に帰ることができないまま、ここ数ヶ月、インドに取り残されていました

 

すでに長期間の厳しいロックダウン体制に入った、インド。

その中でもニューデリーなどではなく、地方に住む、我が父。

こまめに連絡を取っていたものの、届くLINEメッセージはこちらが不安になるものばかりでした。

 

「インドでは今、東洋人は歓迎されていません。必要な外出をするだけでも、非常に冷たい目でみられていることがわかります」

 

「帰りたくても、デリーなどの遠くまで陸路で行けるか、州を越えることができるのかがわかりません。電車は機能していないし、車も何百キロとなると……ロックダウン中の今、動いてくれる車代行会社はあるのか。

どの空港も住んでいる場所からは遠く、そもそも現在のインドは国内線すら飛行機は飛んでいない、どうしようもない」

 

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周囲に比べれば肌の色が目立つ場所で、定年も超えた年齢の父はひとり、運転手のインド人(部下)がときどき届けてくれる買い物で凌ぎながら、人の目を気にしながらひっそりと外出も一切せずに、とにかく静かに息を潜めていました。

 

父が住むインドの田舎からは、一番近くてチェンナイという地方都市が最寄りの空港になります。ロックダウン後は、チェンナイ発の日本行きの飛行機は飛んでおらず、1,000人近い日本人がその地域周辺に取り残されているのではないかと言われていました。

 

先日、Twitterでそれがどうにかならないかと呟いたところ、ツイートをみてくださったインド在住の人からリプライやDMをたくさん頂戴しました。

おかげで、現在も稼働しているインド国内の宅配サービスなど、父に知らせたい情報が集まり、スクショを撮っては父に何度も送りました。親切にも教えてくださった皆様に、改めて深く感謝申し上げます。

 

それからまたしばらく経ち、またインド在住の方からメッセージをいただきました。

「チェンナイの日本人会が大使館などと一緒にかけあったおかげで、チャーター機が出るようです!」

 

その方が教えてくださったPDFファイルを開くと、ありがたいことに全日空(ANA)が3便だけチャーター機を出してくださることになったとの報告でした。

飛ぶ便はすべて、チェンナイ発の成田着のみ。成田からインドに向かう便は一切なし。

 

こんな混乱が混じった時期に、発展途上国で人口も多いインドまで飛ぶことをCAさんたちもどんな気持ちで向かってきてくれたのだろうと思うと……、本当に頭が上がりません。値段も正規料金のままで、非常に良心的。マイルも貯まる(!)と書いていて、普通の便として飛ばそうとしてくれていることがよくわかりました。

 

大使館、ANA、日本人会。

さまざまな人の力が結集して、さまざまな努力をしてくださった上でのフライトになったことは想像に難くありません。不安でたまらなかった家族のひとりとして、改めて深く感謝申し上げます。

 

フライトが決まったと聞いて、父は急いで3便のうちどの便でもいいから乗せてくれ、という連絡を入れました。

 

基本的には希望した全員が登場できるけれど、子連れのご家族などが優先、というような文言がそこにはありましたので、父は第2便か第3便で帰ってくるだろう……と思っていたら、案の定第2便に乗れることに。

 

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その後も、「外に迂闊に出ると警察に止められて、結局空港までたどり着けなかった」などのような噂は他の日本人から聞いていたので、なにがなんでも政府の通行証をゲットしたり、とすることは盛りだくさん。

 

とにかく、空港まで確実に行けるよう、ハラハラと祈るような日々を過ごしました。

空港に向かう、ただそれだけでも厳しいロックダウン状態のインドの今、それはとても大変なこと!

 

 

日本行きのチャーター便のみが飛ぶことになり、日本人しかいない静かで不気味な空港から飛び、父は無事にやっと日本へと戻ってきました。

(余談ですが、父は若い頃に三里塚闘争(成田空港建設反対の学生運動)に参加していたので、致し方がないとはいえ成田空港を使うことになったのには、娘としては一笑)

 

 

成田に到着後、インドは現在の段階では指定国とはなっていないため、厳しい処置ということにはならなかったようですが(ベトナム帰りの人が成田空港で段ボールでできたベッドで寝ることになったのをみて、若くない父にそれはちょっとと心配だったので本当によかった……)、念の為2週間の自主隔離をすることになりました。

 

誰にも会わず、父はひっそりと静かに過ごして、様子を見ながらではありますが5月初旬ぐらいから外出したり、スーパーに行けるようになるのかな……という感じです。

 

そうなれば、わたしの父に会いに行きたいとは思うのですが……5月ではまだ出歩くのは難しいのでしょうね。喜びを直接分かち合うのは、もっともっと、先になりそうです。

 

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先日、海外からの日本人を帰国させるためのチャーター便についてのニュースがTwitterに出ていた時、そのツイートには信じられないような罵倒がたくさんリプライとして残っていました。

 

「そいつらを帰国させるな!」

「見殺しにしろ!」

「自業自得」

「行きたくて行った人たちを帰す必要はない!」

 

コロナは誰のせいでもない。

……なのにも関わらず、海外にいる日本人がこんな悲しい罵倒をされなくちゃいけないなんてと、泣きそうになりました。

匿名だからと平気で投げつける悪意の言葉たち。

 

こんなにも多くの人間多くの日本人が海外へ行き、ときには日本代表として現地で頑張っているおかげで、現在の日本の姿や、日本の地位、日本のお金の流れなどがあるのではないですか。

平気でこんな言葉を投げかける人がいるなんて、と思うと悔しくて悔しくて、やりきれません。

 

長い歴史の中で、日本に帰ることが叶わなかったひとたちの悲痛な声があることも頭によぎり、こういう考えの方が歴史を繰り返していくのではないかと恐ろしくなりました。

たとえば話は逸れますが、中国残留孤児、ブラジルの日系人の歴史なども頭によぎります。

こういうときにこんな言葉を投げかけるような人がいるもんだから、昔の有事の際にも日本に帰れなかった人たちが、いたんじゃないか、とすら思うのです。

 

 

 

と、話は逸れましたが、今日もこんな発言が溢れるインターネット。

 

インターネット、とは言うけれど、これが街ゆく人の中にもある、心からの本心なのでしょう。
そんなふうに思っている人がいるからこそ、成田周辺で自主的に2週間、しかも自腹で隔離をしている帰国者たちも、肩身の狭い思いをし続けばならないのです。

 

悲しい罵倒をするのならば、「よくぞ帰ってきた!おかえりなさい!」と手放しで喜んでくれませんか。

今は確かにコロナでのせいで到底抱き合うことはかないません、握手すらできません。

ですが、距離ある今だからこそ、ネット越しにそんな人へ何かメッセージを飛ばすのならば、せめてポジティブな感情を伝えませんか。

そんなことは思えないというのなら……せめて、せめて。

責任のない人への、罵倒はやめませんか。

 

コロナで鬱々とした気持ちになるのは、あなたもわたしも、みんな一緒です。

だからせめて、悲しい言葉は使わぬよう。

そんな言葉が飛び交わぬよう。

わたしは今日も、強くそう願っています。せめてこれを読んだあなたも、そう思ってくれたら、嬉しいです。

<追記>

このブログを書いた次の日、Twitterで「そういうふうに責めてくる相手を責める、あなたこそ人間性が欠如している」とストレートに罵倒されました。

このブログを全部読んでも、本当にそう思うのですか。

意図が何も伝わらないひとがいることに、これまたひどく落胆しました。これは罵倒ではありません、失望です。

そんな言葉を容易に言って欲しくないからこそ、必死に紡いだ言葉です。

そこに、もっと傷が深くなるやり方で攻撃できる方がいること。それもまた現実なのでしょうが、言葉は無力だなと思わされてしまいました。

 

全員に好かれようとは思っていないけれど、そこまで言われること、わたし、しましたでしょうか。さすがに泣きました。

その画面の奥には生身の人間がいることを、もう少しだけ、想像してほしいなと思っています。

 

 

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