作家・ライター
シンガポール出身,元気なシングルマザー
鬱々とした陰気な感情を,
軽やかでポップな文章にするのが得意です

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20代が終わるので、20代を振り返ってみます

入院生活にも、ようやくちょっと慣れてきました。

 

病院食は相変わらず味が薄いけれど、そんなときには『おとなのふりかけ わさび味』があれば乗り切れることを学びつつあります。Amazonで箱買いしたのを、夫に看護師に渡してもらってどうにか入手しております。

 

わさびふりかけは、本当に身を救うよ……今後入院生活をする人はぜひ参考にしてください、どうも雨宮美奈子です。

 

永谷園 おとなのふりかけ わさび 5袋入×10個

(この数日間のわたしの心の支え)

 

 

さてあと2日で、わたしが必死に生き抜いた20代の日々が終わります。

 

明後日は30歳の誕生日!

まあその日も病院のベッドの上で過ごすんですけど!

 

振り返ってみれば、非常に波乱万丈な10年間でした。

せっかくの節目、またとない節目ですので、経緯や印象的なことを幾つか書き出してみます。どうせ入院生活で暇ですしね。

 

わたしがどう20代を生き抜いたか、ザッとわかるように書いてみました。

 

 

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九州大学に在学中、始まった20代。

 

大学3年生。

腸閉塞という病気に襲われ、人生で初めてお腹を切る開腹手術をして長期入院、その入院のせいでの留年。

大学の長期休みのたびにインドをボロ電車で横断したり、パリのアパルトメントに滞在してダラダラと過ごしたりと、数え切れないほどの海外に行きました。人生で最も貴重なモラトリアムだったように思います。

その海外をプラプラできる資金は、10代の頃から続けた中洲での夜のホステスの仕事。クラブではお姉様たちにマナーや一般常識を教わったり、お客様が大きなホテルで開催される賀詞交換会に連れて行ってくれたりと、様々な経験をさせてもらい、思い出がたくさんあります。わたしにとっての青春の日々は、サークル活動でも授業の合間でもなく、夜のクラブです。

 

そして、やっとのことで大学卒業へ。

 

卒業後はのんびりしたくて地元・福岡の不動産会社に就職した……はずだったのに。

その会社に遊びに来てくれた、何年も好きだった昔から知る東京在住の先輩が「俺今彼女いないんだよ」とか福岡の夜にもつ鍋を食べながら言い出したもんだから、チャンス!今なら結婚に持ち込めるぞと、勢いでその日に決意。

たった3ヶ月で退職してそのまま先輩の住む東京へついていくことに。(ハイ、この男が今の夫です)

 

 

そして交際0日で結婚。

 

東京に出てきてしばらくは、無職生活。

不動産会社での激務の反動で、たぶん休みたかったのでしょう。

夫のためにご飯を作る以外は、ずっとゲームをしていました。

夫も許してくれてたので……。

しかしこりゃいかんと無職生活1ヶ月でようやく焦りを覚え、就活。

何も知らぬ東京でとりあえず憧れていた出版社(小学館)に入り、女性誌編集部や海外向けのメディア事業部でさまざまな経験を積ませてもらい、これまた勢いでフリーランスに。

 

フリーになって以降は雑誌、書籍、ウェブメディア、本当に多くのさまざまな媒体で執筆や取材の経験をさせてもらい、自分にしかできない仕事を丁寧に模索する日々を過ごしました。

出張でセブ島や香港、ハワイなど、有難いことに様々な会社様の経費でも世界中を飛び回らせてもらいました。航空会社のファーストクラス、ビジネスクラスの取材なんかもしたので、すごい席にもたくさん乗せてもらいました。

 

そこで、ときに悩み、立ち止まり。自分には基礎が足りない気がして。

学び直そうと東京大学の大学院を受験し、学生生活を再開。

 

その合間に銀座のクラブでホステスとして復帰、そこで思いがけずママになり、着物のまま東大に通う謎の生活も過ごしました。

(同伴するお客さんが夕方に赤門まで迎えにきてくれていたのは、何度思い出してもある意味伝説だと思う)

夫にも何度も客としてきてもらい、わたしが中洲にいた10代の頃から知る多くのお客様たちにも夫を紹介することができ、和気あいあいと楽しませてもらいました。

夫とお客様の三人で食事をしたり、未熟で若い2人を様々な形で応援してもらうことが多々ありました。

 

そして学生生活も終え、華やかな銀座の夜の世界にもピリオドを打ち。

ときに演劇の舞台に立ったり、イベントに登壇したりしつつ。

 

自分の人生をかけてやりたいことを、エッセイや小説を書くことに決めました。

お金になるかならないかは、まったく考えずの決意。

これが27歳頃ですかね、人に比べて遅かったかもしれませんが。愛ある編集者たちの後押しや応援で、なんとか手応えを掴んだ感じです。

 

夫の会社独立や、その次の新たな会社立ち上げの手伝いもするようになり……執筆業での自営業、会社役員などの肩書きを複数持った今に至ります。

 

そして29歳、このたび赤ちゃんを授かり、入院。

まもなく出産です。

 

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こうやって書いてみると、回り道を含めた多くのことがあり、しかしそれら全てに意味があり、後悔のない日々だったように思います。

 

住む場所が変わり。

出版社にいるときには多くのファッション業界のパーティーにもいくつも出席でき、ずっと書きたかった憧れの雑誌にも名前が載り。

東京で学生生活をやりたかったなという10代の頃の憧れもしっかり消化し、東大の図書館ではどっぷりと本に浸る日々を過ごし(20代で一番幸せな時間でした)、銀座のクラブでママまで経験させてもらい。

何より、憧れの先輩と結婚することもできて。(夫ありがとう!)

 

書けば書くほど、充実していたこの20代はわたしにとって大事な日々でした。

暗黒期が長かった10代の頃よりも、自分のやりたいことに忠実に生きることができ、貪欲に自分を模索し、わがままに生き抜きました。

 

そこには運の良さや、多くの人のご支援や優しさがあり、また夫の支えが何より大きくありました。

金銭的にも余裕がないのに仕事をサボっていた時期に、「それでも働きたくないならお前が働くことは全くないんだよ」と言ってくれた夫には、本当に感謝しかありません。

 

ただ、もちろんここに、謝辞や綺麗事ばかりを書くつもりはなく。

 

20代のうちに多くの人に出会ったことで、心の底から嫌いな人や恨みたくなる人、相性が悪いのだなと痛感する人にも出会うことがありました。ああ、本当に意地悪でどうしようもない人は本当にいるのだなと。

金銭的なトラブルや離婚、深刻な不倫などを身近で見るたびに、そんなことがあるのだといちいちショックも受けました。

ベンチャー企業で活躍し、上京したばかりのわたしにも優しくしてくれてリスペクトしていた、インターネットでも有名なサバサバしたお姉さんが、裏では様々な人を裏切り……みたいなことにも触れたりして、本当に文字通りショックで寝込んだこともあります。

 

本当に人の悪意は底無しで。

ときには、想像もつかないような思考回路でただただ目の前の人を傷つけたい、という人もいるのだと知りました。

心のどこかでは人類皆必ず分かり合える、という甘〜い性善説でここまでそれなりに長く生きてきてしまっていたので、最初こそは深く傷つきましたが、そんな人たちに時間をとられる必要はない、自分の周りの人間関係は自分自身で取捨選択をしていいのだという当然のことにも少しずつ気がつきました。

人間わかり合うのが無理な時は、無理なのね。学びましたよ、東京砂漠で。

 

そういうことも含めて。

いやはや、わかっている人には当たり前すぎることだろうと思うのですが、自分の人生は自分のものなのだ、仕事も人間関係も何もかも自由に選んでいいのだ、ということが10代の頃のわたしにはなんだか嘘のように思えていました。

そう、思えなかった。

 

東京なんかに出るよりも地元で一番いい大学に行った方がいいだろう、親が喜ぶだろう、安心だろう、堅実な選択肢を選んだ方がいいだろう、と。

人に嫌われるのは怖いし、たとえ目の前の人の悪意に気がついても、どうにかニコニコやり過ごすのが一番だろう、と。

 

ひとによっては破天荒に自信満々に見えるらしいわたしですが(本当にそんなことはないんですよ、すごく臆病で現実的なんですよ。インターネットは表層しか映さないから……)、そんなわたしでも、その程度には頭が固くなってずっと捉われていたのです。

様々な固定概念、しがらみ、自分自信の自信のなさに。

 

それらを取っ払うことができ、わたしはわたし!とミュージカル映画の主人公が叫び出し始めるような台詞を、初めて身を以て理解し、実感し、生きることが少し楽しくなってきたことが何よりの収穫でした。

だからこの先はもっともっと、様々な選択について肩の力を抜くことができそうです。

 

さてはて、新たに生まれる子供と過ごし始める、わたしの30代。

 

完全に後悔のないように生き抜くのは難しいとは思うのですが、きっと子供がいることで思うようにいかないということにも直面していくのでしょうが、そうでなければ出会えなかったことにもたくさん遭遇していくのでしょう。

 

わたしの選んだ道を、わたしの大好きな人たちと共に、そしてわたしの守るべき赤ちゃんと共に、邁進していきたいなと思います。

まずはまもなく訪れる、出産!

股がとんでもなく裂けるんじゃないかという夢ばかり見ますが、その程度にはしっかりと臆病なまま不器用な30歳になりそうです。

 

 

年齢が変わったからと言って、人間は急には変わらないものですね。やれやれだわ。

 

 

 

 

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