作家・ライター
シンガポール出身,元気なシングルマザー
鬱々とした陰気な感情を,
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他人は変えられない。なのに私たちは今日も夫婦を営むわけで

とっても当たり前の話だけれど、他人というものは変えられない。

正確にいうと、本当は変えられるのかもしれないが、そう簡単に変わるものではないし、容易に押し付けていいものじゃない。

 

うんうん。そうだね、そうだね。それはわかっているし、恋人や友人にはそんなこと求めやしないよ。

だけど、ひとって不思議なもので、そう思ってる人でも夫婦になるとついついそういう側面を押し付けたりしてしまう。

 

この人は元から、脱いだ靴下を洗濯機に入れられない人だと知っていたけど、でもそうしてくれないことに異常に腹がたつ。

夫婦生活って、なんだかそういうものなのだ。

 

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相手からすれば、自分は結婚前と何も変わりないのに、変われないことを責められることは非常に不条理だろう。

「俺は最初から靴下は置いてけぼりにする人間だったし、ゴミ捨ての曜日を覚えることも上手じゃない。なのにお前は、俺にそういうことを求めるし、できなかったら責める。勘弁してくれ」

こんな感じだろうか。

 

特に自分では簡単にできることを相手が全然できない時に、ひとってなかなか相手を理解しがたくなってしまう。

仕事場でもそうだ。コピーすることも、資料をまとめることも、自分からすればなんてことないことなのに、それができない人というものは必ずいるもので、そういう相手に対して「なんで?メールひとつ上手に返せないなんて、マジでなんで?」と思ってしまう。こういう場合、責めたくなる気持ち側にあまり悪気はなかったりもする。

 

仕事場であれば、そんな場合は自分のストレスにならない範囲で相手とうまくほどほどに付き合えばいいのだが、残念なことに、夫婦はそんな距離を置いてすごす余白はない。

同じ屋根の下、毎日暮らしていく場合がほとんどだ。片方の些細な「不器用さ」「できなさ」は、もう片方の大きなストレスとなる。

 

それをわかりながら、承知しながら、私たちは夫婦という選択肢や、同居という選択肢を選び取る。選び取った時点で、そんな覚悟は織り込み済みとなっていなければならないのに、人間ってば、いざとなると納得がいかなくて不満が溜まる。

でこぼこと、ぶつかり合って、喧嘩して。ときには離婚騒動にまでなっちゃって。

 

そもそも性別も違う、育ってきた環境も違う、場合によっては年齢も国も違う、そんな相手と少しわかりあうことだけでも奇跡的なのに、不満ひとつ出ずに「一緒に生活を営む」ことができるわけもない。

そこをきっぱりと諦める決意を最初にしておくことが本当に必要で、もしもその決意がうまくいかないようであれば、同居や結婚を足早に考えないほうがいいはずなのだ。

 

しかしながら、恋愛は人を狂わせるし、馬鹿にさせる。

恋は盲目とはよく言ったもんで、大事なそういう側面に目をつぶって、ちゃっちゃか一緒に住んでしまう。そして時間経過とともに、不満がたまって、ときめきでカバーしきれなくなった瞬間に大爆発していく。

あっちとしては、いきなりなんでやねんという感じで困ってしまうんだろうが。

 

それでも私たちは、乗り越えようとする。

話し合いをしたり、ときと場合によっては別居を試してみたり、文字通り試行錯誤して可能性を探る。お互いの妥協点を見つけたり、ここまでは文句を言わないと約束をして、ベストな着地点を見つけようとするのだ。

これをする気力があるうちは、だから私たちは夫婦なんだよな、というもんだと私は思う。

 

だって好きだし、好きだから多少なら無理してでも一緒にいたいし。トライしてみたい。

折り合いをつけながら今日も私たちは「夫がトイレの電気を消さない問題」や「夫が家事を手伝ってくれない問題」などと向き合う。

 

ただ、こうやって考えていた時に、私はひとつの重要なことに気がついたのだった。

それは基本的に不満が多く出るのは、私から夫に対してばかりということだ。

 

もちろん自分自身が完璧な人間でないことは26年生きてきてとっくに知っているわけで、なのに夫はそんな私に対する不満をあまり口にしていないし、責めてくることもない。これって実はかなりすごいことなんじゃないか。

この当たり前かもしれない発見に気がついたとき、実はひたすら責め続けているこちらとの非対称性が浮き彫りとなって、ごめんなさいと相手にかなり優しくなれる気がする。というかむしろ、こちらが頭を下げなくてはいけないのでは?くらいの気持ちになる。

 

夫婦喧嘩に、勝ち負けはない。

明確に片方が大きな原因だったとしても、どちらかがどちらを完全に正論で打ちのめしてしまった時、相手との関係性に上下関係に近いものが生まれてしまうこともあるのだから、そういうことをしないように私は意識している。そうなったとき、夫婦の行く末はちょっと明るくなさそうだと個人的には思っているからだ。

 

でも、大きな喧嘩になっても私のことを少しも悪いと責めない夫には、正直頭が上がらないし、私の方が甘えているのだろうなと強く思うのである。実は夫への不満を口にして、文句を言うばかりの私は、相手の懐の深さに気がついていないだけではないのかしら。

 

そうやって「ハッ」と思った時、私の夫への尊敬度がぐっと高まる。やっぱりあなたはすごいよ、私が惚れ込んだ相手なだけあるよ。

あなたがそうやってくれているから、私たちは今日も夫婦を営めているんだね。ありがたい。

 

いやはや、夫よ。今日もお見それいたしました。だから今日も夫婦、営んでいきましょうね。

 

 

 

 

 

 

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