作家・ライター
シンガポール出身,元気なシングルマザー
鬱々とした陰気な感情を,
軽やかでポップな文章にするのが得意です

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乱暴な春に別れを告げて、コロナ対策しているあの顔にムカついて

せわしなく私生活を営んでいたら、ブログや文章をきちんと書く時間などが無い日々を過ごしてしまっていて、もうちょっと発信頑張りたいんだよなァ、と反省しつつパソコンを開いて、ぽちぽちと書き始めているのが今日のこの文章です。

 

 

さて、ちょっと目を離していたら、いつの間にか初夏が唐突に始まっていました。

 

春服を買う暇もなく、というか正確には春服を買う時期には服屋なんぞ開いてなく、コロナコロナで騒乱の世、んでちょっと落ち着いたかなと窓の外を覗いてみれば、もはや今や完全に夏です。ハロー、サマー。

雨も降って、これがもう憎らしい暑さ。

 

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冷房をガンガンに効かせたくなる、熱気と湿気と、いやになるダルさ。

ああもう、夏じゃん。これは明確に夏じゃん。梅雨も終わってしまいそうで、服はもうタンクトップでいいじゃん。この暑さの中でもマスクをしろという同調圧力がこの東京中に溢れているのは、なんですか、殺す気でしょうか。

 

春はあっという間でしたね、というかそもそも本当にここにいたのかな。

この目でその存在を感じられなかったまま、終わってしまいましたね。物悲しい。

 

そんなふうに春は見逃してしまったし、ここ最近のコロナの自粛疲れの反動もあってか、わたしはもうこの温度も街中の人が増え始めた風景も、何もかもがうざったくて、結構イラついているわけです。わたし、ムカついているわけです。

 

果たしてちゃんと効果があるのか無いのかわからない、アルコール度数も不明瞭な胡散臭い消毒液がディスカウントストアには溢れ、高値で売りさばこうとしたけど失敗したのであろう叩き売り状態の箱マスクはあちらこちらで山積み、中途半端にフェイスシールドをつけて「形だけの」対策をやって店を再開し始めているチェーン店や高級ブランド店。

 

そんな何もかもに対して非常に腹立たしいのです。

ポーズをとって「ここまでやれば正しいとされている」と言い張る姿勢が世の中にいっぱい溢れていて、つくづく嫌気がさしています。

 

たとえば最近のテレビ番組に登場する出演者と出演者の間には、もはや当然のように透明のアクリル板があるけれど、でもさ、カメラマンやディレクターの間にも同じものがあるのかなって思うわけで、ちょっとそこまでちゃんと見せてくれる?って気持ちになります。みなさんも思いませんか。

 

芸人とコメンテーターの間にはアクリル板があるけど、スタッフの間はどうだろ。見せてくれなくてもいいけど、ほんとうに、やってんのかな、みたいな。

 

んでこの前ちょっとカメラ側が映った番組があったんですけど、案の定、ADさんやカメラマンの間には何もしきりもなかったんですよね。密集してましたし、マスクも誰もつけていませんでしたし。

ああやっぱりそうだよね、って笑っちゃいました。

 

ちょいと最近、みんなコロナの中で、眼に映る、画面に映る、そんな表面だけにおいて正義ぶったポーズとっちゃいないか?と思います。

街中の小さな個人店が、なんとかしようと試行錯誤の対策をしながら営業をする、とかじゃなくて、テレビの画面越し、はたまた大型チェーン店やら、権力のように大きな顔して歩いている奴らに限って、そういうポーズだけとった正義顔が多く溢れているように感じます。

その裏側は対策皆無、なのにね、と。

 

そんな欺瞞が溢れている感じがね、もうね、イラっとするんですよ。

いや、わたしもわかってますよ。

それでも経済は動かさないといけないし、回していかないと死んでしまうし、いろいろとわかるんだけど、言語化しきれない嘘っぽいポーズを日々見かけるたびに、心が少し沈んでいく日々です。そんなポーズとらんでもいいやん、と。

 

チェーン店に入れば、繰り返しのアナウンスが流れている店が多いですね。

大抵の場合は朗らかな女性の声で、「当店ではお客様、従業員の安全確保のため、徹底した消毒や従業員の体温検査を毎日実施しており……」という、言い訳じみた「ワイら、ちゃんとやってまっせ!」アピールがガンガンに流れています。

 

もういいから、わかってるから、そこまで繰り返さんで良いから。

うんざりします。こんなときこそ、癒されるBGMを流して欲しいものです。

というか、そこまで言うならレジにいるそこの店員が、なぜかマスクはずしてから咳をしているのをどうにかしてよ、とわたしはこれまた苦笑してしまうのです。

現場のリアルとアナウンス放送の乖離。

 

そこまで言うのなら、徹底した姿勢を見せて欲しい。

いやもちろん、人間が完璧な行動をできるわけないことなんて、とっくに知っています。でも現場の意識や知識が置いてけぼりになる中で、ほれワタクシたち正義でございますよ〜、と繰り返し放送しようとするそのポーズはもはやちょっとやりすぎよ、という話です。そんなアナウンスしまくらんでいいじゃないのと。

そういう矛盾に今日もモヤモヤっと感じています。

 

 

まあ、なんというか。

そんな「そこまで言うならやってくれ」、「美しい姿勢でスマートにやってくれ」という期待を“わたしが”勝手にしていて、それを勝手に裏切られたと思っているだけなのだとは思うんですけど、やっぱり社会やメディア、そのほかいろいろな大きな会社、権力じみた存在に対して、わたしはまだ期待をすることをやめられないんですね。もしかしたらもう少しなんとかしてくれるかも、社会を牽引しれくれるかも、と期待しちゃうんですね。

 

結局、わたしは社会的動物の一員で、資本主義にどっぷり浸かった人間で、この世に、この社会の大きな存在に、まだまだ希望を持っている側の人間であることを痛感させられています。

 

ひとりで小さくイラついて。

そんな自分にも嫌気がさすわけですが。

コロナの時代は、本当なら見なくてよかった、考えなくてよかったのかもしれない部分まで可視化してくるもんだから、心が常に揺さぶられて非常に疲れる日々になっています。結構、しんどいもんですね。

 

 

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ちなみに。

このあと第二波があるかも、まだ落ち着いたとは言えないのかも……と予断を許さない昨今のコロナ生活の中で、実は今現在、わたしの私生活は人生で1位2位を争うほどめまぐるしく変化しています。波乱万丈!

もう少し経ったら皆様にもハッピーでロックな嬉しいご報告ができるとは思うのですが、その準備のためにもう少しドタバタと過ごしていくことになりそうです。

 

深呼吸してリラックスして、いちいち何かに期待するのはやめて、心地よく生きていきたいものです。わたし、とても不器用なので。もうちょっと肩の力、抜いて、イライラせずに。

 

今度アナウンスがしつこくうるさい店に入ったら、そっとAirPodsを耳に突き刺そうと思います。最初から、そうすりゃよかったんですよね。そうします……。

 

 

 

 

 

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