作家・ライター
シンガポール出身,元気なシングルマザー
鬱々とした陰気な感情を,
軽やかでポップな文章にするのが得意です

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ルイヴィトンの定期入れなんて

昨日、ルイヴィトンの店の前を通った。
 
既に閉店後だったけれど、ショーウィンドウには眩しいライトと美しいバッグや靴が展示してあった。
 
鮮やかな赤色のエナメル財布やら、上質そうなルイヴィトン定番の柄のミニバッグ。まばゆい光に照らされたそれぞれの商品は美しくて、わたしは思わず足を止めた。
 
ため息をつくほどに、綺麗。欲しいなあと少し思う。
いや、結構、欲しいかもなァ。
 
 
女の欲望って、どんどんと解剖していくと薄まっていくと思うんだけれど、その中で妙に濃ゆい存在感の欲望ってのが多分これ、ブランド欲、ってもんなのだと思う。
ブランド物を持つことに、ブランド物の意味を感じてしまう、あんまりよくない感じのアレ。中村うさぎさんなどの有名人が陥ってる、ブランド狂的なやつ。
 
たとえば、そのショーウインドウに映るルイヴィトン、いや別にシャネルでもエルメスでもいいんだけれども、とにかくブランド品のそのなかのとびっきり可愛い、そして高い商品、をわたしが持つとして。
 
そのときのわたしが、その商品を欲する意味。
とても上質だから?
もちろん上質だ。でも、だったらもっと値段と釣り合った商品が無印良品ユニクロにあるかもしれないのに?ハンドメイドの職人が作るセレクトショップにあるかもしれないのに?どうしてそれ、がいいの?
  
多分そこには他の女達に見られたい、羨望の眼差しで見られたい、いいなあって言わせたいという欲望がはっきりとあるのだ。
 
ほぅら、うらやましいだろう。
わたしにはこんな高い商品を誰かに買ってもらえる、または自分で買えるほどのちからがあるのだ。そんな誇示が、そこにある。
 
 
インスタグラムにアップする手元に、さりげなく映るシャネルマーク。そういうのが女達の中の小さな戦いとして、いつだってそこに横たわっている。
男たちは同じ写真を見ても気づかないかもしれないね、なんていう小さな微笑みを携えながら、女達はインターネットのSNSの上で、通りすがりの街なかで、常に戦っている。
 
わたしたちは良いバッグ、良い財布、ブランドだって分かるものを欲する。誰かに、見せたくて。見せびらかしたくて。
 
シャネルのマーク、ルイヴィトンの柄、エルメスバーキン
そのブランドのわかりやすいモチーフのついたもの、そういうものを欲して買ってる女達の多さ。
 
もちろんそれよりも、ルイヴィトンがただ好き、品質がいいからこれが好き、などの理由で好きな人のほうが多いとは信じたい。でもきっと、誰かに見せびらかす、ためじゃなければこんなに売れないのだから。
そしてそんな欲望が悪だとは思わない。だけれどもやっぱり、物を買うにしてはいささか不健全な動機で、ちょっとみっともない。
 
 
そう思いながら見つめるショーウィンドウ。
そこは、ルイヴィトンの世界観がふんだんに表現された豪華な空間。
 
そんなわたしの右手には、キティちゃんのピンク色の定期入れが握りしめられていた。
 
24歳になったなら、そろそろブランド物の定期入れでも使ったほうがいいかもしれない。ルイヴィトンのバッグ、持ってるしなァ。ありかなァ。
でもそんな刷り込み、誰かの押し付けな気もする。はたまた、雑誌の刷り込みかもしれない。またはひとに見せて、うわールイヴィトンの定期入れいいなあ〜〜って言われたいだけの欲望、なんだと思う。
 
でもほら、キティちゃんは、かわいい。
無条件に可愛い。
わたしは納得して、好きで、誰かに見せびらかしたいわけじゃなくて、純粋に手元に欲しくて買ったんだよこの定期入れ、1200円。値段、かわいさ。満足している。
 
多分このキティちゃんのほうが、わたしに必要な定期入れなんだと思う。だから誰かに見せびらかしたくて買うルイヴィトンの定期入れは、買わないでおこう。
 
 
そんな気持ちを持ちながら、でもインスタグラムにこのキティの定期入れわざわざあげようとは思わないなとか思いながら、いやでもそれが本来の健全なモノの選び方じゃん?と思いながら、わたしはいつかブランドの定期入れを買ったり貰ったりしたならばついついインスタグラムにあげちゃうんだろうなと思いながら、淡々と家路についた。
 

別にブランドって、かんけーないよ。
そう口では何度も言いながら、わたしは今日もちょっと、キティちゃん片手にロゴマークを気にしている。
 

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