だって私たちは幸せに見られたいのだ
SNSで毎日のように繰り返される戦争。そう、あなたもきっと体験しているはずです。
いかに美味しいものを食べたのか、オシャレなものに触れているのか、人より一足早く展示会で服が買えたのか、はたまた素敵なパートナーと過ごしているのか……ホットヨガしながら、グリーンスムージー飲んでいる隣のあの子に対して、嫉妬したり勝ったと思ったり。
SNSのこの時代、わたしたちはそんなマウンティングに忙しいわけでして。
さてこんな時代に、果敢にもこんなキャッチコピーの雑誌が発売されました。
どういうモチベーションなのか全く理解できない pic.twitter.com/NJFU7IgnZZ
— 望月優大 HirokiMochizuki (@hirokim21) 2016年4月2日
「だって幸せそうに思われたい!」という女性誌のコピー。こちらがネットではまさに賛否両論。
このSNS大承認欲求時代に、このコピー。わたしは欲求に素直で、真理をついているのではないかなと思います。
ねえ、素直に認めましょうよ。
だってわたしたちは(特にSNS越しに)幸せに見られたいのだ、ということを素直に認めるところから始めましょうよ
— 雨宮美奈子 (@areyoume17) 2016年4月7日
このコピーに「こんなこと言わないでよ」と過敏に反応する読者たちは、つまり「不幸そうに見えるよ」と言われているかのようで ムカッとするのでしょうし、読者じゃない外野から見ると「え?そんなこと思われたいなんて、マジで口にするわけ?ぷぷぷ」ってことだと思うわけです。
いいんじゃないかなあ、もう。この欲も認めていきませんか。だってそりゃカッコいい暮らししてて、いいね!をたくさんもらえた方が嬉しいし、自己承認欲求みるみる満たされるゥ〜でしょ。そりゃそうだ。
幸せに見られたいって思いますよ、わたしは声を大にして言います。隣のあの子より一歩リードしていたい、向こう岸のあの子には叶わなくても、隣のあの子には、って。そりゃもう、私生活を切り売りしてSNSで見せまくっていることが当たり前のこの時代においては、当然の欲求じゃないですか。この欲が美しいかどうかは、ともかくとして。
みんな、ちょっとは思うでしょう?
だけどもね、わかりますよ。ええ、ええ。
ハリーウィンストンの婚約指輪をドヤ顔でFacebookに投稿しているあの子は、果たして本当に人に見せるためにじゃなく「ちゃんと素直に」喜んでいるのかな、なんて。「久々に女子会♡」ってアップしているあの写真は、実際に盛り上がったかどうかはどうでもよくてただ載せているだけなんじゃないかな、なんて。そういうモヤっとした気持ち、のことですよね。
SNS用に塗り固められた虚構とリアルな現実を行ったり来たりしているうちに、どこかで人の気持ちを踏みにじっていたり、誰かを傷つけていたり、人にアピールすることを優先するがあまり何かがおろそかになってしまっていないかって。そこが最も、素直にこの幸せに見られたいのだという欲求を認められない、妨げになっている気がします。
でもね、例えばわたしなんて、本当に日々に感謝して幸せだって素直に思うわけですよ。ひねくれなさすぎでは、って思うかもしれませんが、それは本当に思うんです。
「本当に幸せな人間は、SNSに登場しない」という言葉を聞いたことがあるのですが、それは違う、にわたしは一票を投じます。だって、わたしSNSに投稿するけど、投稿しないことも多いし、普通に幸せなんです。
幸せだって自分で言っちゃうこと、そんなに悪でしょうか。そう思い込みたいから言ってるんじゃないですよ。でもそう思い込みたいからいうってのも、別にアリじゃないです?
自分の私生活をちょっぴり見せて、それでいいね!をもらう、ここまで含めて楽しんで「幸せ」な形もあると思うわけです。それもまた、この時代を象徴する幸せの形のひとつ。
幸せそうに見られたいって、素直に思っていいじゃない。だって幸せなんだもの!
と、ドヤ顔していきたいです。ここまでみんなが突き抜けていれば、多分この議論はそもそも生まれなかったんでしょうけども。
だって幸せだし、幸せにみられたい気持ちもあるし。でもまあ、ときには嫉妬もするけれども。そんな気持ちの中に揺れているわけです。そして今日もまたSNSを開いては他人の生活を眺めては、わたしたちは忙しくするわけです。いいじゃん、ね。
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