作家・ライター
シンガポール出身,元気なシングルマザー
鬱々とした陰気な感情を,
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3.11、祈れと強制するな

3月11日になった。

5年前のあの日、福岡にいたわたしは何が起きたかわからず、ただただテレビ画面に流れる映画のような光景にショックを受け、友人とその画面を見ながら身を寄せ合い、小さなマンションの一室で怯えていた。

その後、東北へボランティアにも行った。気仙沼で見た街は思ったよりは元気になっていて(事前知識が暗すぎたのか)、陸前高田は思ったよりも何も進んでいなかった。本当にこんなところに街が再びできるのか、と不安になった。震災した地です、と観光地にしてしまったほうがいいのではとさえ、無責任に思った。

 

わたしは当時、元々は農業地だった地を、元に戻すための体力作業をこなした。鍬は重く、手足は筋肉痛となった。

 

5年が経ち、今日のテレビ番組は震災一色だ。

祈ろう。祈ろう。祈りましょう。テレビはそう繰り返す。

うっかり登録していた首相官邸の公式LINEからは、安倍首相から「時間になったら黙祷をお願いします」とまできた。言われなくても、わたしはするよ。しない人もいてもいいじゃないか。うるさいな、と思った。

 

東北のために何が出来るだろう、東北がんばろうぜ、そういう声だけが虚しく響いてなんと5年もたったのだ。すごいことである。

あなたは知っていますか。某有名な新鮮な宅配野菜サービスでは、西日本に産地を限定した割高なコースも有るのだ。「お子様に安心ですね」と書かれたそのコースが飛ぶように売れている一方で、テレビでは、東北のためになにができるだろうと言葉が飛び交う。一方で、原発が動いたり差止めになったり忙しい。なんだか、東北のために、という言葉が白々しい。

 

押し付けがましいテレビも、LINEも、勘弁してくれ。わたしは祈る、他人は知らん。またボランティアには行きたいと思っているが、他人に勧める気は無い。

圧力をかけて誘導しないでくれ。だから白々しくなっている。

 

わたしは祈る。そして出来ることはせねばと思う。だがそれは、わたしの勝手だ。祈る。その地に足を運ぶ。そんなの勝手だろうよ。

 

 

 

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写真は、ご招待を受けていた村上隆の展覧会。この前、最終日に駆け込んだ。大きいってとにかくすごいことだよな、と同行者が繰り返していたのが印象的だった。震災の影を、強く感じた内容だった。
 
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