サークルクラッシャーへの道を歩んでいた私にとって、あのとき名門男子校出身者は簡単だったんだ
この前、NHKの人気番組「ねほりんぱほりん」を観た。
いやー、良い番組である。
この番組は毎度テーマが設けられ、そのテーマに沿ったゲストを招いて話をする。
毎度ついつい気になるテーマが提示されるこの番組、ついこの前のテーマは「サークルクラッシャー」だった。そう、大学のサークルや会社などひとつのコミュニティ内の男性を翻弄し、その中での人間関係を破滅させる女のことを主に指す、『アレ』である。
このあたりの説明は得意な人にお任せしよう。
サークルクラッシャーとは (サークルクラッシャーとは) [単語記事] – ニコニコ大百科
ちなみにオタサーの姫とはちょっと違う概念なので、そこんとこよろしく。
つまり今回何が言いたいかというと、そう、私の過去の話をしようと思う。この番組に触発され、思い出したのだ。
それは私がまだ若く、サークルクラッシャーのような振る舞いをしていたあの頃……(遠い目)。出会う男、出会う男、全てを攻略する面白さに目覚めてしまっていた。
もう時効だろうと思うので、そろそろこの話題をインターネットに放流することにするが、私は18歳〜21歳の頃にかけて「準サークルクラッシャー」だった。
この「準」というところが非常に重要なのだが、これは後述する。
私自身の容姿は、偏差値でいうと高くない位置であることは自分でも強く認識している。これは謙遜でもまったくなく、私は美人と言われることは本当に全くと言って良いほどなく、それでも初対面の人が私のことを褒めようと似ている芸能人をなんとか頑張って言われる時は百発百中「いきものがかりのボーカル(みんな名前は答えられない)」か「テレサ・テン」のどちらかなので、そのあたりからなんとなく察して欲しい。
要するに、丸顔である。ちなみにお年寄り世代には結構ウケる。
引用:http://japanese.china.com/home/special/1236/20140624/94967.html
(参考画像、テレサ・テン)
今はさらに順調にメキメキと太ってしまったのだが、当時の私は今(26歳)より12キロほど痩せていた。
むしろ、東京に来てから2年でどうやってここまで太ってしまったのか……私の身体が心配である。
とそんなことは置いていて、そんなこんなで、丸顔だけどそこそこ痩せてる18歳の少女・美奈子の容姿は決して特筆すべきものはなかった。
だが、それが実はとても重要なことだったりした。
私は学外活動などを通し、高校生だった頃にラ・サール高校、久留米附設高校の男子と知り合うことが多かった。ご存知でない方のために説明をしておくと、どちらも九州が誇る名門男子校である。ちなみに私自身は共学の普通の私立高校に通っていた。
自分の高校で「おもしろくねーな」と時間を持て余していた私は、この時に出会ったラ・サールの男の子たちと話をするようになり「おもしれー!」と感じるようになる。単純に、インテリと話がしたかったんだろう。
自分の知らないことをたくさん知っている人間と話す面白さに目覚めたのだ。彼らは文化教養の高い人間が多く(家が裕福なんだろうな)、高校時代にヒッチコックの映画について語り合える仲間がいたことは、私の胸を高鳴らせた。
だがここではまだ、サークルクラッシャーのようなことは起きない。だいじょうぶ、だいじょうぶ。
ただし、この時に私は信じられないくらいの数の男子に告白されるという経験をした。
そう、共学である自分の高校では起きなかったことが、ぽんぽん起きてしまうのだ。男子校の学生は、女性への免疫や耐性がほぼ皆無だ。ラ・サールの男の子曰く「給食のおばちゃん(50代)を見ると、女性がいるな〜とテンションが上がるんだよね」だったらしいので、このセリフからそのヤバさがわかるかと思う。やばすぎるだろ。
そんな時に、ふとしたきっかけで同年代の女の子と知り合ったら? そしてその女の子と話す機会が多かったら? それが絶世の美少女ではなく、ちょっと手が届きそうなほどよいブスだったら?
答えは簡単だ。
さすがに今そんな状況に置かれたらギャハハと笑ってしまうが、当時の私はウブだった。
告白されるたび、「なんで私なんかに?みんな、私をからかってるの?」と本気で思っていた。自己肯定感の高くない思春期の女なんて、そんな思考回路である。
だって、当たり障りのない範囲で「どうも〜」と少し話しただけの男性から次々に告白されるのだ。わかるか、この恐怖が。
そんな恐怖を抱えつつも、それでも私は女性と話すことが非常に苦手な男性たちと話す術、コツを私はここで着実に身につけることとなる。同年代の女子より、女性に耐性のない男子校出身者と話すのがうまくなる、これはのちに活きることとなってしまう……。
その後、高校を卒業した私は紆余曲折を経て、地元の大学へと進学する。名門男子校の友人知人たちは、東大を中心に東京へと散らばっていったので疎遠になった。
しかし。
私の友人知人の皆様ならご存知だろうが、当時の私は自分のいた福岡の大学に面白さを感じられず、ちょこちょこと東京に通っては東京大学を中心に、いろいろな学生と遊ぶことが多かった。東大の他には、早稲田、法政、東京芸大、立教あたりに友人が多かったように思う。(この頃、のちの夫となる早稲田の男とも知り合うがこれはまた別の機会に話そう)
知的な好奇心や欲求を満たしたかった私は、東京に出て男女問わず多くの友人を作った。それは非常に有意義で、楽しい出会いだった。
だがその時にまた、出会ってしまうのである。結局、再び。そう、名門男子校出身者たちに。
地元にいた頃はラ・サールと久留米附設しか知らなかったが、東京には名門男子校出身者がうじゃうじゃいた。
開成、麻布、筑駒、聖光学院、駒東などの都内を中心にした関東圏の学校出身者から、関西の灘や東大寺学園出身者などなど、聞いたことないほどの高校まで、いわゆる名門がいっぱい。
18歳の彼らは、東京で共学の大学という野に放たれてしまった羊状態だった。
突然の共学、突然の女子。
自分から女性に話しかけることなど、できるはずもない。そんな人が本当にたくさんいた。
もちろんこれら名門男子校出身者のチャラ男はいっぱいいるし、彼らは高校時代から塾などを通して他校の女子校出身者と上手にやりあっている。そんな人も結構な数、いる。
だが、そこは私のマーケットではない。だから問題ない。私が話したいのは理系オタクみたいな、うじうじしているあの辺なのだ。
内気なインテリ男子たちと話すことは、面白い。とにかく面白い。豊富な知識を持ち合わせながら、人と目も合わさずにノンストップの早口で話すその姿は、私の人生のデータベースにない生き物だった。面白くて仕方がなかった。
なんで私みたいな積極的な聞き役がいないと彼らはこんなにコミュニケーションが下手なのだろう、面白いこといっぱい知ってるのに、なんて思いながら。
ま、そういうことをしていると、わかるでしょ、再び告白ラッシュが起きるのだ。そりゃそうだ。
この頃は、大学生になったということもあいまって、私は化粧なども幾分かするようになっていた。自由に使えるお金もあって、美容院やエステにもちょっとは通えた。だから容姿に関しては、高校生の時より少しばかり自信もあった。
中学時代に低かったスクールカーストの悔しさを、それはもう執念深く取り戻すかのように、私は人に好かれることやチヤホヤされることに執着していたように思う。
その時に告白されれば、そりゃもう、わかりやすく自己承認欲求がガン上げである。アゲアゲ。アゲぽよ〜。
こんなことで自己承認欲求が満たせることに気づいてしまった時、この世にまた一人、サークルクラッシャーの卵が産まれてしまうのだと思う。はい、無事にここに爆誕。
わぁ〜、元気なサークルクラッシャーですね! おめでとうございます!
もう、お前らどんどん私に告白しろよ、男子校出身者よォ。
お前らの希望通りの受け答えをしてやるよ、お前らの望む姿で恥じらいながら受け止めてやるからさァ!という状態だ。女性に触れる機会が少なく、女性に幻想を抱く男性たちの心理は、基本に忠実でわかりやすい。また、容姿面で強みのない私でも攻略できてしまうほど脆弱だった。バグだよ、ありゃ。
今思えばそんなの最悪であるが、私はそれで本当に精神の安定を求めていたのだから、なんつーか、やるせない。寂しい18歳だ。
最初は「面白いな、話してみたいな」という純粋な興味本位で近づいた名門男子校出身者というマーケットだが、これに気づいたあたりから私はここを「狩場」だと思うようになる。
ここで我ながらすごいと思うのが、その狩場の中で本気で好きになった「本命」を見つけたら、そことはちゃんとお付き合いをするのだ。この時だけは狙って落とそうとか、そういう発想はあまり働いていない。不器用にやり合って、付き合うところまで持ち込む。ここは純然たる、よくある恋愛のやり取りである。
そして私はこの「本命彼氏(これも名門男子校出身)」を明確に確保しながらも、私は次々と他の男子たちを沈没させていくのである。
これに浮気という概念はなかった、なぜなら、私は沈没させていく相手たちとはキスもそれ以上も本当に何もしないのである。
私のミッションはひとつ、「相手から告白させる」。それによって「やったね!」と承認欲求をグングンさせる。これだけである。単純明快だね!
ゆえに、身体の関係を含んでサークルクラッシュさせるということはなかったので、正確には私は「サークルをクラッシュさせられなかった」人間である。これが私が自分を「準」サークルクラッシャーと呼ぶ理由だ。
ただそれでも、私が次々に身近な男性を毒牙にかけてしまったため、男性同士で対立することや、喧嘩も起きていたのは事実だ。
だがそこに性交渉などがなかったため、大揉めしておおごとになる、コミュニティが壊れるというレベルには至らなかったのである。
酷い場合でも、私と会うのが辛くなった男性がそのコミュニティをそっと離れるレベルである。(それでも今思えば、ひどいことをした自覚はあるのよ、だから石を投げないで)
なんだかんだ言いつつ私はクリスチャンとして育ったので、貞操観念は強めだった。
初めては絶対に結婚する相手と……、と長年思い続けていたような人間である。それがせめてもの、今思えば不幸中の幸いだった。
もしも私の貞操観念がもうちょっとゆるふわだったら、私はサークルクラッシャーとして立派に君臨していたのだろう。その場合は、きっと今とは全く違う別の未来があったのだろう。今となってはこれでよかったと本気で思うばかりである、マジもんのサークルクラッシャーになってたら笑ってこんなところではとても話せない。
あと、こういったことをして金銭的な利益も得ていないこともここには記しておこう。
狩場の男の子たちと会った時のご飯代などは、全部割り勘である。これだけは徹底していた、どうせ君は私とは付き合えないから全部出させるわけにはいかない、と思っていたのだと思う。
加えてゲスな話をすれば、この名門男子校出身者を攻略する遊びは、途中から飽きてしまったのだが(本命彼氏が充分に自分を承認してくれることに気がついたため)、それでも惰性で続けていた。当時の私、やめろよな、マジで。
開成、筑駒、灘はコンプリート、麻布は難航したけど2人攻略、あーでも東大寺学園はまだか……、というような感じで完全に名門男子校スタンプラリー状態だったりもした。偏差値70以上の男子校はほぼコンプリートできたのではないだろうか。
ちなみに信じられないぐらいスタンプの種類は揃ったので、そんな話が聞きたい人はお酒の席でよろしくどうぞ。
その時の私の発想は「女性としてモテる価値が最高値をつけている今、その恩恵にあずかっておかないともったいない」というものだった。20歳前後が女性としてのピークだと、どこかで刷り込まれていたのだろう。書いてて思うけど、当時の私ってば、本当悲しいやつだな。
今後これ以上モテることはないだろうからと、モテるバブルを味わい尽くしたいという、悲しい欲望だった。
もちろん、それらを知る友人には「美奈子、あんたいつか絶対に刺されるよ」と忠告されていた。
のにも関わらず、ガン無視して続けていたせいで、22歳になる頃に「俺を弄びやがって!」と、男性から包丁を突きつけられてしまうという経験をすることになった。
その男性とは、2人きりで会ったこともないほどのただの飲み会仲間のワンオブゼムだったので、正直びっくりした。お前は狙ってなかったぞ、マジか、という感じである。
そして同時に「あの友人の忠告はマジだな、こりゃ早死にしてしまう、それはやだな」と思い、それをきっかけに思わせぶりな態度を1ミリでも取らないようにすることを徹底してきた。
おかげで、そのあとはモテとは縁遠く静かに過ごしている。
というか、あれは正確にはモテじゃなかったのだ。
純粋な男性たちにわかりやすい幻想を演じて見せることで、私がモテているという幻想を感じていただけで、あんなの愛も恋もクソもないのだ。
男性の抱く「あわよくば」な性欲、女性の抱く「とりあえず」な承認欲求の衝突地点の最適解の結果、告白という行為が行われていただけである。地獄かよ。
なのにそんなことに簡単に溺れてしまう、18歳の意志の弱さと、愚かさよ。愛おしいほど、馬鹿そのものである。今ならね、わかるんだけどね、今ならね。
もっと語るのであれば、私は高校時代に露出狂や痴漢、盗撮、知らない人間にいきなり車への連れ込まれそうになる未遂などの性的被害を数え切れないほど受けてきた。怖くて、しばらく外へ出られないという時期もあった。
そこから始まった男性嫌悪が、変な形で昇華していた時期だったようにも思う。
自分の手にかかるチョロい男性を見ることで溜飲を下げていたのかもしれないし、上位に立とうとしていたのかもしれない。今となっては、そんなの言い訳だけども。
とまあ、私の懐かしい黒歴史でした。
ねほりんぱほりんを見てたら、心のかさぶたからドクドクと血を流すようにして記憶が掘り返されたので、思い返してしまった過去だったので、こうやってインターネットで成仏してみます。
はい、おててのシワとシワをあわせて、なーむー。なむなむ。成仏しろ。
過去の私、刺されなくてよかったね。
生きていることに圧倒的感謝。
さ、今日も明るく元気に生きていきましょう、そうしましょう。