夫のちんぽが入らない、こだまさんの本を読んでの感想やらなんやら
いきなりだが、夫のちんぽが入らない。
そんな衝撃的な書き出しで始まる物語を読んだ。
その名も、「夫のちんぽが入らない」。
こだまさんという主婦の方による、20年を描いた実話である。
Twitterを眺めていると評判がよく、今日は銀座の本屋に足を運ぶと今週の人気本と書かれたコーナーの中に最後の1冊としてひっそりと佇んでいた。買おうか、買うまいか。正直、ちょっと躊躇した。
なかなかの題名のわりにやわらかな装飾の表紙で、なんとか手にとることができる。それでも恥ずかしい人は文明の利器、Amazonで注文しよう。
さて、性的な関係をもたずに、ひっそりと兄妹のように生きていく夫婦生活を描いた本作は、リズミカルでブログの文章のいいところをぎゅっと凝縮したきれいな文体だ。本が苦手なひとでも、エッセイのように、ブログのように、ぱっと読了できる一冊だと思う。
これを書いたひとは、頭のよいひとなのだ、と瞬間的に分かる本だった。
他の男性とは問題なく出来てしまうのに、なぜか夫のちんぽだけが入らない。
その理由はわからないままに、20年。ひっそりと、その切実な事実に向き合いながら、ときには目を背けながら生きていく、夫婦の壮絶な精神的プロレス劇が描かれている。
妻には気づかれないようにと思いながら行動する旦那は、妻が風俗のポイントカードのスタンプを日々こっそりと数えていることを知らない。
ぐでぐで、だ。正直この作者であるこだまさんは、この夫婦は、ぐでぐでの人生だ。
思いどおりにいかないことばかりの人生なのに、予想以上にぐでぐでに、思い通りにいかない。その切なる苦しみをふつふつと軽やかな文体で描かれてしまうと、読んでいるこちらは笑いながら肩透かしをくらう。
世の中は皆、思った以上に泥臭い戦いを全員がしている(と、わたしは信じたい)。
わたしの人生も、わたしと結婚してくれている夫の人生も、ぐでぐでな部分だらけだと思う。ちぐはぐで、滑稽で、泥試合。作者と同じ。そんなことばかりだ。
わたしは、経済的な事情もあって行きたかった大学には行けなかった。もっと前の話ならば、日本語が不自由なことをいじめられたし、スクールカーストにもがき苦しんで卓球部という地獄にいた学生時代はロクな思い出がない。
社会人になってから、少し視界は開けたけれど、何度も身体は思い通りにいかなくなるために、通院、通院、通院。小さい頃に思い描いていた社会人にはなれていなくて、フリーランスの物書きとして浮き沈みのある給与明細を見つめている。ボーナスの貰える人生、どこに置いてきたっけ。みんな、こんなふうに、理想と離れていっているんだろうか。
テレビCMでマイホームのCMが流れる。
あたたかなリビング、仲良しな家族、走り回る犬、ちょっと小洒落た庭、母の微笑み。きっと収入も安定しているのだろう。快適な住まいを建てよう、と呼びかける。
いやいや、しかしそんな理想的な家族はこの世にはいない(と、わたしは信じたい)。
でも、それが普通で、目指すべきもので、憧れるべきもので、完成形だとわたしたちはなぜか信じて疑わない。インターネットやらなんやらで視界が広がった時代が来たとはいえ、やっぱり結婚は男女が前提に作られているし、子供は生むべきで、生涯独身の人は「ちょっと変な人」認定されるのが事実だ。
その世界線に生きてしまっているわたしたちは、その事実から目を背けられない。普通に生きようと、してしまう。普通って、普通のことなんだもの。
こだまさんのこの本は、そんな世界にそっと寄り添って、まあほら、そもそもわたしは夫のちんぽが入らないしさ、と慰めともなんともとれない言葉を投げかけてくれると思う。こんなふうにもがいているんだよ、と淡々と教えてくれる。
ちんぽが入らない。
メーデー、そう、SOS。
これは笑い事ではない。
夫は他の女性とはうまくできるし、妻も他の男性とはできる。なのに、2人では、できない。夫婦生活の上でこれ以上大きなことが、あるのだろうか。
本を読み終えて、じゃあ、とふと考えてみる。
もしも、わたしに夫のちんぽが入らなかったならば。
それはまるで兄と妹のように、老人の夫婦のように、ひっそりと息を潜めて、性的なものだけを抜きにして寄り添う、聖なる関係になれるだろうか。
なれる、と思う。
笑い合いながら、日々を過ごす。ときに相手が苦しめば、手を差し伸べて、向き合って、支え合って、どうにかこうにか二人三脚、生きていく、のだろう。
風俗のポイントカードを見つけて、ばかじゃないの、ちゃんと隠しておいてよ、と叫びながら号泣して大暴れして、家の中に何発も爆弾落とし放題の世界大戦が勃発して、でもわたしは一晩眠ったらちょっと不機嫌な顔をして旦那のためにコーヒーをいれているのだろう。
ちなみに惚気けるが、わたしは夫が好きだ、たまらなく好きだ。
男性的な魅力にひかれているし、それはどこかセクシュアルに感じているし、でもそれとは別に才能がいっぱいで、兄のように、先輩のように慕っている一面もある。
だから、きっと、大丈夫。うん。大丈夫。
、、、、いや? 待てよ。
ううん、きっと、大丈夫じゃない。
うん、ああ、ダメだ。ダメかもしれない。
いや? なれる、大丈夫、きっと、うんうん、大丈夫。
そんな気持ちを何度も往復しながら、やっぱりわからない、わからないままだわ、と本を閉じる。当事者じゃない。当事者じゃないのだもの。
でも、近いものを日々の生活に葛藤に感じることはある。だから、全部じゃないけど、部分部分で、きっと近い思いをしているのだろうとちょっぴり理解できる。
少しキツい表現をすると、先ほど言ったような「理想のマイホームに住む家族のCM」みたいな生活をしているひとには、まったく響かない本なのかもしれない。(そんなひとがいれば、だけど)
Instagramにオシャレで綺麗な生活しかのせないひとばかりのこの時代において、本当にすべてが★キラキラ★素敵ライフ★に生きられているのだとしたらば、この本がこんなに売れている理由が説明できなくなってしまう。
わたしたちは、何かの完成形を目指してしまう。苦しい。そんなときに開いて、ちんぽか、ちんぽが入らないのか、と言いながら黙々と読んでみるといいかもしれない。
たぶん、きっと、笑いながら泣いてしまう。
痛切な叫びが込められた一冊に打ち震える。
でも、ちんぽ、ちんぽと思わず連呼してしまう。
そして、こちら側からこだまさんに寄り添いたくなる。
そんな、一冊なのだ。